審査基準では、「主引用発明(A)に副引用発明(B)を適用したとすれば、請求項に係る発明(A+B)に到達する場合には、その適用を試みる動機付けがあることは、進歩性が否定される方向に働く要素となる」とされ、主引用発明に副引用発明を適用する動機付けの有無は、(1) 技術分野の関連性、(2) 課題の共通性、(3) 作用、機能の共通性、(4) 引用発明の内容中の示唆、という動機付けとなり得る観点を総合考慮して判断されます。動機付けの4つの観点のうち実務上、課題の共通性と並んで最も主要な役割を果たしている動機づけの観点が(4) 引用発明の内容中の示唆となっています。
「当該発明が容易想到であると判断するためには,先行技術の内容の検討に当たっても,当該発明の特徴点に到達できる試みをしたであろうという推測が成り立つのみでは十分ではなく,当該発明の特徴点に到達するためにしたはずであるという示唆等が存在することが必要である」(平成20年(行ケ)10096号、知財高裁)という「回路用接続部材事件」判決が有名です。 「本発明の特徴点に到達するための試みをしたであろう」では不十分であり、 「本発明の特徴点に到達するための試みをしたはずである」までが必要である。 引用文献に示唆があれば、本発明をすることは容易 引用文献に示唆もないのに本発明をしたことは容易でないから、進歩性あり という判断の流れになり、この事件では示唆がないから進歩性ありと判断されています。 この判決を代表例に、日本の知財高裁は次第に、当業者が主引用例から出発して無効判断の対象としている発明に至る動機づけを厳格に判断することによって無効率を引き下げ、現在では史上まれにみるプロパテント時代に突入していると言われています。 実務を変えた!最新ビジネス判例30選 裁判所が「進歩性」判断手法を明示した!回路用接続部材事件 https://www.uslf.jp/wp-content/uploads/2016/10/takami_buisinesshoumu10_11_37.pdf 時井真弁護士の「特許進歩性判断における「示唆」の概念の現状について—インターネット上の検索技術の発展と進歩性判断との関係に関する若干の考察と共に—」という論文は、当業者が主引用例から出発して無効判断の対象としている発明に至る動機づけ(示唆を含む)を厳格に判断することによって無効率を引き下げて史上まれにみるプロパテント時代になった2014年~2017年の裁判例を分析し、進歩性判断における「示唆」について考察しており、進歩性判断における「示唆」についての理解が深まりました。 特許進歩性判断における「示唆」の概念の現状について—インターネット上の検索技術の発展と進歩性判断との関係に関する若干の考察と共に-- https://www.jstage.jst.go.jp/article/inlaw/19/0/19_190002/_pdf/-char/ja 抄録 特許進歩性の判断においては、①主引用例を提出し請求項発明と主引用例の間の相違点を認定した上で(第一ステップ)、次いで②当業者が請求項発明を容易に想到することができたかという手順を経る(第二ステップ)。現在、ITや検索エンジンの進展により急速に引用例検索技術が進展して第一ステップの難度が下がり、その結果、相対的に第二ステップの判断の重要性が増している。本稿の第一の目的は、第二ステップの判断の主役の一つである「示唆」の概念の現況を、直近の裁判例から明らかにすることにある。その結果、日本の裁判例では、従来技術に主引用例と副引用例を結びつけ請求項発明を想到する動機付けとなる示唆以外に、逆に引用例と副引用例との結びつきを妨げ、動機付けを否定する逆示唆の裁判例が多数存在することが判明した。最後に補論としてこの第二ステップ(示唆及び逆示唆)と情報ネットワーク社会との関係についても若干考察した。 特許無効審判および特許侵害訴訟における無効の抗弁中で特許無効を主張する場合、新規性・進歩性(特許法29条l項・2項)の判断は、ほぼ一体化した一連の作業になっている。簡略化すると、①最も近い引用例(主引用例)を提出し、無効判断の対象となっている発明(以下、「請求項発明」という)と主引用例の間の相違点を認定した上で(以下、「第一ステップ」という)、次いで②当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が主引用例から出発して請求項発明を容易に想到することができたかという手順(進歩性の判断)を経る(以下、「第二ステップ」という)。 ここで情報ネットワーク社会との密接な関係を有する社会的事実として、こと特許については、2000年代初頭以降、インターネットを利用した検索能力が各段に向上し、Googleをはじめとした多数のオンライン上の検索エンジンや(当時の)特許電子図書館 (IPDL) のみならず、引用例検索に特化した専門の有料オンラインサービス業者が多数起業したために、こうしたオンラインサービスを利用して、膨大な数の先行技術(特に公開公報)から、第一ステップ、すなわち、技術的に見て請求項発明と最も近い主引用例を見つける作業が質・量ともに格段に向上になったことが挙げられる。進歩性の判断の手法という法的側面の変化のみならず、こうした社会的事実の変化を背景として、新規性・進歩性の判断においては、第一ステップのハードルが下がったことも、2004年―2006年の知財高裁の黎明期の極めて高い特許無効率(新規性あるいは進歩性無し)との判断に至った一因であると思われる。 進歩性の欠如を主因としたこうした高い無効率を背景として 2006年頃から特許無効率の引き下げが謳われ、進歩性についてTSMテスト(引用例に、周知技術等との組み合わせを教示したり示唆したり、あるいは両者を組み合わせる動機があることがない限り、進歩性を肯定するという基準であるい類似の基準を採用した2009年の知財高裁平成 21年 1月 28 日 [回路接続部材判決]を代表例に日本の知財高裁は次第に、第二ステップの判断を厳格化し、特に当業者が主引用例から出発して無効判断の対象としている発明に至る動機づけを厳格に判断することによって無効率を引き下げ、現在では史上まれにみるプロパテント時代に突入している(ここでいう検索技術等の発展が具体的にどのようなものであり、検索技術の発展等が従前に比べて目標とする公知文献をどのようにして入手の機会を増やしたかについては注釈で述べる)只こうした取り組みは、引用例のオンライン検索サービスの飛躍的発展に伴い社会的事実として無効判断の対象としている発明の各構成要素自体は上記オンライン検索サービスで容易に発見できるという点で第一ステップのハードルが下がった (=無効率上昇)分、検索された各構成要件要素を結びつける動機付けの有無(示唆を含む)という第二ステップの法的要求水準を上げる(=無効率下降)ことによって、均衡を回復しようという試みであったと位置づけることができるように思われる。 以上のような社会的事実の変化により、現在では、以前にも増して、第二ステップの重要性は年々増しつつあるといえる。そして、第二ステップである進歩性の判断において、いわゆる設計的事項の概念とならび重要な判断手法の一つとして、当業者(=当該業界において通常の技術常識を有する者)が主引用例に副引用例を結びつける動機があるために請求項発明に到達することが良いであったかどうかを判断する、いわゆる動機づけの判断がある。そして、特許庁「平成18年進歩性検討会報告書」 124頁によれば、動機づけの判断要素としては、①技術分野の共通性、②課題の共通性、③作用、機能の共通性、④内容中の示唆(四者の関係はORで結ばれている)が挙げられており、中でも実務上、課題の把握と並んで最も主要な役割を果たしている動機づけの要素が④の、いわゆる示唆の概念である。例えば、副引用例に主引用例と結びつける示唆がある場合、当業者は両者を組み合わせて請求項発明に到達する動機付けがあるとして、進歩性の欠如を理由に特許無効に至るのである。 そこで本稿では、情報ネットワーク社会の到来の結果、以前よりもその重要性を増した、特許進歩性の判断における「示唆」の概念を直近の裁判例から立体的・網羅的に整理することにしたい。 ・・・社会的事実のレベルでみると、オンラインやAIによる引用例の検索技術の発展は、「1.はじめに」で述べたように、特許無効を主張する側が検索エンジン等を利用して最も請求項発明に近い主引用例を見つけ出しやすくなったために、第一段階の難度を下げ進歩性を否定する方向に機能した。しかしその一方で、第二段階においては、審判ないし訴訟開始後においては、特許無効を主張する側と特許有効を主張する側の両当事者が示唆の有無をめぐって両者ともに検索エンジンを駆使して引用例を提出するために、検索技術の発達は、検索により提出された文献に示唆があると認定された場合は進歩性を否定する方向に機能する一 方 (「3.2 どの程度の記載があると示唆なのか?」)、検索により提出された文献に逆示唆があると認定された場合は進歩性を肯定する方向にも機能しているといえる(「3.4 逆示唆、技術常識との関係」)。 そうした意味では、情報ネットワーク社会の到来、とりわけ検索技術の飛躍的発展は、「1.はじめに」で述べたように、第一ステップの難度を事実上引き下げたため、第二ステップの進歩性の法的基準を引き上げる遠因となったのみならず、肝心の次の焦点である第二ステップにおいても目下、第二ステップの難度を社会的事実として、上げる方向にも下げる方向にも影響を与えている。第一ステップのみならず第二ステップについても前記検索技術の発展により第ニステップの主役の一つである示唆や逆示唆を導く引用例や文献を、検索エンジンや AI 等の最新の検索技術で探し出す場面が益々増えることにかんがみるとこのことはより一層妥当するだろう。その意味では、情報ネットワーク社会の到来は、今なお進歩性判断全体の陰の主役であり続けているといえるのかもしれない。 従前、発明が生まれる実験等の過程で AI を使用した場合の特許法上の諸論点については検討がなされているが、本稿は、発明が生まれ、その後、出願後の審判あるいは訴訟に至り、主張立証の過程で AI や検索エンジンを駆使して引用例や文献の検索を行った場合に進歩性判断にもたらす影響を「示唆」の概念から具体的に考察したものである。
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著者萬秀憲 アーカイブ
December 2024
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